【旅226日目/6月22日】横綱・双葉山!!
◎226日目 天気:曇り時々晴れ◎
台風も熱帯低気圧へとランクダウンし、雨もやんだので
ようやく出発です!!
っと、その前に腹ごしらえです。
いやーこの日の朝食もいっぱい♪
食卓に並んでるもの全部が全部美味しい!!
おいしく(少し無理矢理)全部いただきました★
おばあちゃんに2日間のお礼を言い、9時頃出発!!
本当に2日間お世話になりました。ちょっとはいい話し相手になれたかな??
まず最初はここ
双葉の里☆
『双葉の里』は昭和初期に活躍した『双葉山』の生家があるところ。
『双葉山』は昭和初期の横綱で、未だ破られることのない69連勝という記録を持っている偉大なお相撲さん。
歴代の60連勝した人の手形がこの柱に残されるみたいです。
ちなみに国技として相当歴史の長い相撲においても
60連勝以上した力士はたったの3人。
一人は双葉山
一人は現在も活躍している横綱、白鵬
もう一人は江戸時代の最強力士である谷風
谷風の場合は預かりや引き分けを挟んでの63連勝なので、
本当に60連勝したのは2人だけ。
この記録の凄さたるや。。。!!
白鵬も十分すごいですよね!
横綱は手もでかい!!
双葉山かっこよくないですか??
手に刀を持ってる感じがすごくかっこいい。
次は福沢諭吉の生家!!
中に入るとお金かかるし、別に入ったところでって感じなのでここだけ。
・福沢諭吉
日本の武士(中津藩士のち旗本)、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者。慶應義塾の創設者であり、専修学校(後の専修大学)、商法講習所(後の一橋大学)、伝染病研究所の創設にも尽力した。他に東京学士会院(現在の日本学士院)初代会長を務めた。
wikipediaより
つまりは、明治初期の熱心な勉強家ってことです。
昔は誰でもこうやって勉強できる環境ではなかったから
この人は生まれ育った環境が良かったんでしょう。
次、中津城!
中津城はお城だけではなくていろんな神社も敷地内にたくさんある不思議なお城。
猫がこうやって水を飲めるくらい平和な現代。
いいと思います。
次!!
本耶馬渓にある『青の洞門』
・青の洞門
大正8年に発表された菊池寛の短編小説「恩讐の彼方に」で一躍有名になった、禅海和尚が掘った洞門(トンネル)で、耶馬渓を代表する名勝である競秀峰の裾野に穿たれている。
諸国巡礼の旅の途中に耶馬渓へ立ち寄った禅海和尚は、極めて危険な難所であった鎖渡で人馬が命を落とすのを見て、慈悲心から享保20年(1735)に洞門開削の大誓願を興したと伝えられている。
禅海和尚は托鉢勧進によって資金を集め、雇った石工たちとともにノミと鎚だけで掘り続け、30年余り経った明和元年(1764)、全長342m(うちトンネル部分は144m)の洞門が完成した。
寛延3年(1750)には第1期工事落成記念の大供養が行われ、以降は「人は4文、牛馬は8文」の通行料を徴収して工事の費用に充てており、日本初の有料道路とも言われている。完成当初は樋田の刳抜(くりぬき)と一般に呼ばれていたが、江戸末期から大正にかけて樋田のトンネルや青の洞門と呼ばれるようになり、大正12年4月尋常小学校国語読本巻第21詠には青の洞門と書かれており、昭和17年に大分県の史跡指定にあたり、青の洞門が正式名称となったようである。明治39年から翌40年にかけて行われた大改修で大部分が原型を破壊されたと言われており、現在の青の洞門には、トンネル内の一部に明かり採り窓などの手掘り部分が残っている。
http://www.city-nakatsu.jp/kankou/kankouti/2011080800440/より
つまり、このトンネルは
「手堀りでつくられたとんねる」ということです。
いろいろ現代風の加工はされてるでしょうけど
こんなごつごつのトンネルは確かに初めてだ!!
この日のゴールと決めていた
『道の駅やまくに』に向かう途中
早速壊れました笑
すぐさまmoutomの戸高さんに連絡。
代用の部品をすぐさま送ってくれるみたいなのでひとまず安心。
(よくみると擦れて既にいくつか穴が開いてたからあんまり安心ではないが。)
ここの道の駅は24時間休憩所が開いていてなおかつ畳張りなので
この日はテントを使わず寝袋だけで快適に寝ました★
それでは!
記録
走行時間 3時間10分
走行距離 59.50km
平均速度 18.7km/h
最高速度 34.5km/h
消費カロリー 755kcal
総走行距離 5595km
お金
コインランドリー 300円
お風呂 300円
飲食費 538円
計 1138円
総計 278,982円
ルート